上田家の4コマ漫画シリーズ

広島の山奥へ移住した話

2012年、庄原市口和町に移住した時の話です。
えいま
上田家の父ちゃん。石川県出身。広島市立大学油絵専攻を卒業。
ちえ
上田家の母ちゃん。山口県出身。大学ではえいまと同期で同じ油絵専攻。大学院の修士課程に進む。
アビエルトに通っていた友人たち。
上関原発の問題などに関心を持つきっかけになった教授。
ふくふく牧場の、のりおさんとなつさん夫婦。
一緒にふくふく牧場にボランティアに行っていた学生。
とてもオープンでウェルカムな雰囲気の地域の方々。
空き家を紹介してくれた地域の方。
今住んでいる家の家主さん。
当時の口和自治振興区の空き家担当の地域マネージャーさん。
家についてきた猫、ミニー。

移住のきっかけは2つの原発

大学3年の時に山口県の上関原発建設計画の問題を知りました。何度か現地と対岸の島(祝島)を訪れ、抗議活動に参加したり、友人と勉強会をしたりしました。卒業後は美術教諭をしながら制作をしようと思っていたのですが、この頃から「本当にそれで良いのか?」と思い始めるようになりました。
生活や海を守るために原発の建設に反対する現地の人たちや、それを支援するために全国から集まる色々な人たちと出会い、少しずつ、環境、持続可能性、食、農業などに関心が向くようになりました。当時制作していた卒業制作の行き詰まりの中で出会った宮澤賢治の「農民芸術概論」にも大きく影響を受けました。

そして翌年、大学卒業の年に東日本大震災と福島第一原発事故がおこりました。

結局卒業後は美術教諭にはならずに、警備員のバイトをしながら「cafe・teatro Abierto(カフェ・テアトロ アビエルト)」という芝居小屋で舞台美術などをさせてもらっていました。アビエルトでは様々なアーティストの公演があり、そこでの経験は芸術観を大きく変えました。
農業もしていた小屋主の畑の一隅を借りて友人たちと野菜づくりもし始めました。採れた野菜をみんなで料理して食べました。自分たちで食べ物を育て、それを一緒に食べることの喜びをそこで知りました。
充実してはいましたが、将来の展望が見えない不安を抱えた日々でした。

その頃には、なんとなく農村で米や野菜を作って暮らしたいと思い始めていました。そんな時に、アビエルトの畑にやってきたのが「ふくふく牧場」の福元紀生さんでした。

ふくふく牧場へボランティアに

アビエルトの畑で作業をしていると、大学時代からお世話になっていた教授が突然やって来ました。僕が上関原発の問題などに関心を持つきっかけとなった恩師ともいえる方です。その教授と一緒にいたのがふくふく牧場の紀生さんでした。紀生さんは福島県いわき市で牧場を開いたばかりだったのですが、原発事故後に放牧地の草から放射能が検知されたことなどから、庄原市に移り牧場を再建していたところでした。

紀生さんの人柄と考え方に惚れ込み、牧場再建のボランティアに行くことになりました。

当時は原付しか持っていなかったので、住んでいた広島市安佐南区から庄原市口和町までは片道3時間半かけて通いました。楽ではなかったのですが、牧場再建の楽しさや、誰かの役に立てることのやりがい、口和町の素朴で美しい自然や風景、人の良さなどがあったおかげか、2年ほど続けました。自分でもこれほど続くとは思っていませんでした。

途中から母校の広島市立大学の学生とボランティアグループを作り、数名でレンタカーを借りてボランティアに行ったりもしました。広島修道大学の学生も参加してくれるようになりました。

学生がボランティアに来ているということで、口和町の地域の方が歓迎会(慰労会?)を開いてくれたこともありました。

山奥の集落「藤根(とうね)」へ移住

ふくふく牧場にボランティアに来るうちに、こんな環境で暮らしたいという気持ちが徐々に強くなってきました。ことあるごとに、空き家と農地があれば移住したいと地域の方に言うようになっていました。
同時に山口県、京都府など、遠方にも移住先を探したりしましたが、大学を出たばかりで農業の経験も資金も"つて"もない若者が、理想の土地を見つけるのは当然のことながら難しいことでした。

そんなある日、地域の方が空き家を紹介してくれました。そこからはとんとん拍子で、家主さん、移住をサポートしてくださった方などに話をつないでもらい、念願の農地付きの家を借りることができました。
ふくふく牧場に通い続け、地域の方たちに知ってもらえたことで、多くの方に応援していただけたことが順調に移住することができた理由だと思います。

移住したのは下の集落から車で7分ほどの一本道を登った山奥の集落でした。集落に当時住んでいたのは他には高齢の2世帯のみ。理想に近い家と土地、環境を手に入れることができたのはとても幸運なことだったと思います。
こぼれ話

セニアカー

セニアカーについてく原付の図はなんとも間抜けだったと思います。。。移住してからも、このおばあちゃんにはたくさんお世話になることになります。
「車がなければ買い物も十分に行けない田舎では、高齢者にとってセニアカーは必要な足。車を運転中に出会ったら、徐行して十分に距離をとりながらすれ違ってくださいね。」
こぼれ話

ボランティアの帰り

「牧場までは片道約3時間半。学生で、原付しかなかったとはいえ、よく行ったなぁと今では思います。牧場の杭打ちなどの作業をして疲れた日の帰りは特に眠かったです。」
「田舎の幹線道路は車が少なかったりする分、余計にスピードを出す人も多いんだよね。人も動物も安全第一で!」
こぼれ話

風景

「移住する場所を探す中で良いと思える場所もいくつかあったのですが、これといった決め手がありませんでした。庄原は実際に2年ほどボランティアで通ったことで、自分の中でだんだんと移住したい気持ちが自然に大きくなって行ったように思います。ふくふく牧場のお二人がいたことや、地域の人たちの人柄なども決め手と言えますが、この時の風景も大きな決め手となりました。」
「自分が好きな風景の中で生きていると思えることは、とても幸福なことかもね。」
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